第三回あはき未来会議

こんにちは。 はりゆびBaseメンバーで鍼灸学生2年生の飯島渉琉です。 この記事は、あはき未来会議企画の感想をリアルな学生の視点から振り返ります。 活動報告と一緒に読んでいただけると、より内容について理解できますので、下のHPに飛んでください!!! 参加してくださった方は復習がてら読んでいただけると嬉しいですし、はじめてご覧になった方ははりゆびBaseメンバーのSNSをチェックしてください。

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第三回あはき未来会議「”冷え”ってなんでしょうか。古典さあああん!!!」

今回のテーマは「冷え」です。 最近冷え込んできて、冬が顔を出してきました。

時期としては凄くタイミングが神がかっていたのが、今回のあはき未来会議でしたね。

「足先冷えてますね」「お腹が冷えちゃって」 よく言いますよね。

僕はデイサービスでアルバイトをしていまして、高齢者を介助するとき手を握るのですが、「あなた、手が冷たいね」っていつも言われます。その時のリプライの決まり文句は「心は温かいですけどね😊」なのですが。
このように、日常的に「冷え」というのに出くわすと思います。

では、その「冷え」というのはどのような状態なのか。

症状として悪いのか。治療対象になるのか。

これらの疑問を古典ベースに読み解いていくのが今回のあはき未来会議でした。
この企画を通して感じたことを学生視点で振り返っていきたいと思います。

冷えってなんなんですか。。。

「君、足冷えてるね~」 こんなこと言われて動揺しない人ってこの世の中にいると思いますか?
僕は100%心配しちゃいます。

でもこれ不思議ですよね。冷え=悪的なイメージ が定着しているというか。
なぜなのだろう。

確かに、知覚過敏の人にとってガリガリ君は脅威でしかないし、口角あがっていても目が笑ってない人をみたら、「冷たっ!」となる。

これは僕個人の独断と偏見でしかないのですが、鍼灸の施術でやたらと冷えているか否かで触診する人多いなと思うのです。

それはなぜなのか。疑問しか今まで抱かなかったのです。

そんな中で今回のあはき未来会議。

正直言っていいですか。”冷え”ムズイです

今回の企画内容の詳細については、discordの方と活動報告の方をぜひ見てください。そこに載っています。
ですので、この記事には詳細は記載しませんが、古典で表記していることと、現代でいう”冷え”が少し解離している気がしました。

”冷え”について詳しく書かれている古典「傷寒論」では、このように表記されているそうです。

「冷えることで熱症状が現れる」

冷えによる主な症状として、頭痛や悪寒、耳が聞こえなくなったり、お腹が張ったりするそうです。 確かに、風邪ひいて熱が上がってだるいときって、異常に毛布が恋しくなりますよね。
冷えるから熱症状が出るというのは、なんとなくなるほどでした。

加えて、金元四大医家と呼ばれる4人の医家が示す”病の本質”が”冷え”を読み解くヒントとして紹介されていました。

簡単にまとめます。ここで冷えについての解釈がどう変わっていくかがわかります。

最初のひとりは、「病の本質は、熱である。故に冷やそうじゃないか」と言い、症状を治していったそうです。

2人目は、「病の本質は、邪気である。故に体外へ吐かせようじゃないか」と言い、発汗や嘔吐、お通じ改善などで症状を治していったそうです。

3人目は、「身体の害を追い出すのではなく、内に存在する体力をあげよう。では脾胃を温めるぞ」といい、温める方剤を多く使用したそうです。

そして、4人目「冷える=体力を奪う、温める=体力を養う というが、体力がないが熱い奴もいるよな。うーん、陰虚だなそれ。」といって、陰虚を発見したそうです。

このように年代順に追っていくと、”冷え”というものがなんとなく解像度上がってきましたよね。

これらを踏まえると、冷え=悪的なイメージっていうわけではなさそうだ。という考えが浮かんできました。

とはいえ!一学生の身分の私からしたら、いまいちピンとこない。。。「故に冷えとは。。。」単純化しようとする人間の癖が出てしまいましたが、これは申し訳ないですが、さっぱりできませんでした。

ですが!この記事を読んでくださっているあなたなら、理解できると思います!

なぜなら、講義の内容が素晴らしく洗練されていたからです。ただ、僕の基礎知識が足りなかっただけなのだから。 なので、ぜひはりゆびBaseのHPから、チェックしていってください!!

古典って、、、何でとっつきにくいんだろう

内容に触れながら、書いてきましたが、今回のあはき未来会議が終わって少し考えました。
古典ってとっつきにくいよね。なんでだろう。

そもそも、時代背景が違いすぎて想像力が足りなくなる問題がある気がしました。

僕は好奇心の幅が広いので、アルバイト先の高齢者の方々とも楽しく会話出来たりするのですが、一般的には、60歳も離れている人と会話が弾むことなんてないと思います。
ジェネレーションギャップというものでしょうか。 彼らのアイドルは森光子でしたが、僕のアイドルは、吉岡里帆ですから。

というように、何千年も前の人の考えや書物に記載されているものを理解するのは容易なことではありません。
そこに書かれているテキストを正しく発音することは出来ても、そこに描かれている文脈を踏まえて意味を理解することは難しいものだと思います。

あとは、時代背景ですね。 コロナパンデミック以前は、”呑みニュケーション”という悪しき文化があったと名前は言えませんが先輩から聞いたことがあります。ですが、今はあまりそれに関しての話題が上がることはありません。

このように、短期的にも当たり前というものが変わる世の中です。千年前の時代背景と現代での解釈の違いがあることに気づくのは簡単なことだと思います。 そのような前提を踏まえて、古典を読んでいかれている学者さんはじめ、かりん先生にはリスペクトしかありません。 とても貴重な機会ありがとうございました。

鍼灸師として現代医学と東洋医学に対してどう向き合うべき

以上のことを踏まえて、考えますと、鍼灸師のアイデンティティーって何なんだろう。という疑問がこぼれてきます。
そもそも鍼灸師のアイデンティティーは何かという疑問を解く価値があるのか、優先度はどのくらいなのかという議論もありますが、今回はお付き合いください。


古典を読み解き、実装することが鍼灸師なのでしょうか。
鍼とお灸というツールを使って、医療を提供するのが鍼灸師なのでしょうか。

「え、どちらもじゃない?」と言いたい気持ちはわかります。
それを目指す価値はありますし、医療人としてはあたりまえのマインドかもしれません。
古典を読み解くことの意義と医療のツールとしての鍼とお灸、これらを机に持ってきたうえで、鍼灸師について考えてみませんか。

この答えをここで書くつもりはないですが、今回のあはき未来会議を振り返ると、改めてこのようなことを考えてしまいました。 医療というものは、だれのためなのか。それを踏まえて、鍼灸というのをもうちょっと人生の時間を使って考えていきたいなと個人的に考えております。

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